# エッグタルト、生食パン、そして流行を追わないパン

> 台湾では食べ物をファスト消費品として扱う傾向が根強い。エッグタルト、生食パン。一、二年ごとにブームが来ては去る。だが長時間発酵と健康を打ち出すパンは、ファスト消費品の論理では売れない。この台北のパン屋でデジタルとマーケティングを担当した著者が、長期にわたってぶつかり続けた葛藤を綴る。台日パンシリーズ第三篇（最終回）。

- Author: Paul Kuo（郭曜郎）
- Date: 2026-07-05
- Pillar: 省察と記憶 / Reflections & Memory
- Tags: ファスト消費品, 食品マーケティング, 食品ブーム, 生食パン, スローフード, 健康食品, 台日交流
- Canonical: https://paulkuo.tw/ja/articles/taiwan-food-fads-slow-bread/
- Language: Japanese (日本語)
- Translation: AI-translated from the zh-Hant (Traditional Chinese) original
- Original (zh-Hant): https://paulkuo.tw/articles/taiwan-food-fads-slow-bread.md
- Site index for LLMs: https://paulkuo.tw/llms.txt

---

> 遅さと記憶のあいだには、秘密のつながりがある。速さと忘却のあいだにも、また。
>
> ミラン・クンデラ『緩慢』

<div class="listen-summary" style="margin:1.25rem 0;padding:0.75rem 1rem;border:1px solid var(--border);border-radius:var(--radius);background:var(--bg-section);">
  <div style="font-size:0.9rem;font-weight:600;color:var(--text-secondary);margin-bottom:0.5rem;letter-spacing:0.02em;">▶ 要約を聴く</div>
  <audio preload="none" controls style="width:100%;display:block;">
    <source src="https://audio.paulkuo.tw/taiwan-food-fads-slow-bread-ja.mp3" type="audio/mpeg" />
    お使いのブラウザは音声再生に対応していません。<a href="https://audio.paulkuo.tw/taiwan-food-fads-slow-bread-ja.mp3">音声をダウンロード</a>してください。
  </audio>
  <div style="font-size:0.75rem;color:var(--text-secondary);opacity:0.75;margin-top:0.4rem;">AI合成音声・著者本人の声のクローン</div>
</div>

> **TL;DR** 台湾は食べ物をファスト消費品として扱いがちだ。エッグタルト、生食パン。一、二年ごとにブームが入れ替わり、来るのも速ければ去るのも速い。だが長時間発酵と健康を打ち出すパンは、ファスト消費品の論理では売れない。このパン屋のマーケティングに関わるなかで、私はずっとその引っ張り合いにはまり込んでいた。

台湾人は食のブームを追いかけるのが好きだ。ずいぶん前にはポルトガル風エッグタルトに行列を作り、ここ数年は生食パン。一、二年おきに新しいものが来る。来るのも速ければ、去るのも速い。前のブームで名を上げた店の多くは、次の波が来る前に閉まっている。

この台北のパン屋でデジタルとマーケティングを担当していた私の手元にあるパンは、ちょうどそのブームの対極にある。18時間かけて発酵させ、健康を前面に押し出した、一度並んで写真を撮るためではなく、十年食べ続けてほしいものだ。それを世に出そうとして、私はすぐに一つの壁にぶつかった。ファスト消費品のコミュニケーション論理は、ここには当てはまらない。

## 二つの売り方、二つの論理

ファスト消費品が売るのは「新しさ」だ。期間限定、話題、行列、写真投稿。熱量を一波作り、売り切ったら次のアイテムへ移る。ブームはもともと短命に設計されていて、乗り遅れへの恐怖で動く。

健康的な、手間のかかる食べ物が売るのは別のものだ。長期性、信頼、そして身体。客に衝動で一度買わせたいのではなく、長く食べ続けて習慣になってほしい。一波の熱量では成立しない。ゆっくり育てた信頼が必要だ。「これは身体にいい」と言っても、客はその日に聞いてその日に信じたりしない。食べ続けて、身体で感じて、初めて信じるようになる。

この二つの論理は、互いに相容れない。ファスト消費品のコスト構造ではマーケティングの比率が非常に高く、多くの場合四割を超える。

## 価格競争に勝てないなら、戦わない

志賀は著書のなかでこんな観察を書いている。フランスでバゲットは日常品で、高くても二、三百台湾ドルにしかならない。毎日食べるものだから、安いのが当然だ。だが日本でパンは「嗜好品」であり、毎日の主食ではなく、どちらかといえば楽しみとして食べるものだ。嗜好品だからこそ、付加価値を乗せて高値で売れる。

志賀自身もそうしている。彼の店では一個千円が普通で、高いものは三、四千円する。彼はそれを「価格破壊」と呼ぶが、方向は逆だ。壊す先は上であり、下ではない。論理はシンプルだ。個人店は産量が少なく、大手の価格競争には勝てない。なら戦わず、大手には作れないものを作ればいい。わざわざ買いに行く価値があり、贈り物になるパンを。

この道を行くには、自分の看板が要る。志賀はこう言う。一流には必ず自分のスペシャリテがあり、オリジナルで支えるのであって、他の誰かの模倣であってはならない、と。

それがファスト消費品の対極だ。ファスト消費品は「乗り遅れへの恐怖」で動かす。非日常が頼るのは「誰にも代替できない」という事実だ。十年食べ続けてほしいパンは、後者の側に立つべきであって、次の生食パン・ブームを追いかけるべきではない。

## 私が感じ続けた張力

マーケティングに関わる者なら、熱量に乗る誘惑はよくわかる。このパンを次の生食パンに仕立てて、ブームに乗って一波出すか？短期の数字は間違いなく良くなる。

だが私にはそうしたくなかった。十年食べ続けてほしいものを、一度食べたら終わるものとして売ることになるからだ。ブームに乗って来た客は「乗り遅れまい」と来ただけで、熱量が去ればいなくなる。この店が本当に必要としているのは、食べて戻ってくる人、家族を連れてくる人だ。そういう人は、ファスト消費品のやり方では招けない。

ちょうどその頃、ご縁があってファミリーマートの健康エコシステム構築プロジェクトに関わるようになった。デジタル・トランスフォーメーションの取り組みで、生体データを消費行動のプロファイルに統合し、消費者により適した健康食品や日用品をレコメンドするというものだった。

それに携わるなかで、一つのことを確信した。良い製品より、良い流通経路のほうが強い。このパン屋が抱える張力への答えも、マーケティング技術にあるのではないかもしれない。健康を前面に置いた流通経路があって、それが健康を気にかける人のもとへ届けてくれるかどうか、そこにあるのかもしれない。

行き着いた実感はシンプルだ。健康食品のマーケティングとは、それをファスト消費品に変えようとする努力ではない。腰を据えて、別のやり方で、十年食べ続けてくれる人と向き合うことだ。遅いが、残る。

## 前の記事と、これは同じ話だ

ここまで書いて気づいた。これは[前の記事](/ja/articles/long-fermentation-fast-age/)で書いたことと同じ問いだ。

前の記事では、速さしか選べず遅さを許さないシステムは失制御の一形態だ、と書いた。それは生産側の話だった。台湾の消費者が食べ物に「ファスト消費品」を求める構造は、同じ問いの消費側だ。何でも新しさ・速さを追い、乗り遅れを恐れる市場は、それ自体が一種の「速さしか許されない状態」だ。ゆっくり食べ、ゆっくり信頼を積み上げるものを、その市場は受け入れられるのか。

市場の成熟度とは、ブームを追わないものが生き残れる余地があるかどうかで測れるのかもしれない。

## 十一年、どのブームにも乗らずに

この店は十一年続いている。どの食ブームにも飲み込まれず、どのブームで立ち上がったわけでもない。エッグタルトの熱も、生食パンの熱も、脇に置いて、毎日一窯、黙々と焼いて、黙々と売ってきた。

[このシリーズの最初の記事](/ja/articles/tokyo-master-taipei-bakery/)に書いた言葉に戻る。これは何も計画されていなかった。縁と職人の粘りがあっただけだ。急げないものがある。七種類の菌を毎日養い、長時間の発酵プロセスを守り続けること、客の信頼を育てること、それを正しい流通経路へ届けること。すべてが急げない。払うべき代価は、黙って払うしかない。

---

本記事における日本のパンの価格設定と「非日常」というポジショニングに関する記述は、志賀勝榮『パンの世界：基本から最前線まで』（講談社選書メチエ）に基づく。書中の見解は著者による意訳であり、逐語訳ではない。冒頭の引用はミラン・クンデラ『緩慢』から。
