信仰の崩壊と再建

1995年閏八月の予言から見る宗教の本質

世界は残酷だ。 残酷な世界の中で、慈愛の神を信じ続けるには、途方もない深みが必要だ。

しかし多くの人は近道を選んだ——目を閉じることを。

「世界はもうすぐ滅びる」と受け入れることは、最も安易な信仰の選択だ。 思考を省き、対話を省き、霊的に優れているという優越感さえ与えてくれる。

私はこれを「インスタント麺信仰」と呼んでいる。 簡単で、速くて、しかし何の栄養もない。


予言騒動の代償

1995年、台湾海峡危機が勃発。 教会の中で「中国共産党が台湾を血で洗う」という予言が狂ったように広まった。

深く信じた人々がいた。 彼らは飛行機から逃亡し、移民し、生涯の蓄えを捨てて、この土地を離れた。

結果はどうなったか。 1999年、あの情報を煽った牧師たちは「神にはご計画がある」の一言で済ませた。 そして信徒たちは、借金取りと生存の隙間で、静かに、惨めに台湾へ戻るしかなかった。

一つの誤った教えが、人の信仰と生活を完全に引き裂くことがある。


神学の真の使命

信徒のレベルが「イエスを信じれば永遠の命を得る」という蒼白な一文に留まるなら、彼らの目に映る人生は、歴史も蓄積もない平面でしかない。

複雑な生存の現実に向き合うために、私たちには伝統の知恵を持ちつつも方向性を示せる知識体系が必要だ。それが「神学」の使命である。

神学は道具ではない。神学は信仰の中の内省だ。 それは時代とともに進化し、動的なシステム思考でなければならない。


結語

天災に際して「同性愛が裁きをもたらした」という言葉で信仰の宣伝をするのは、最低最悪のたわごとだ。

なぜ神は悲劇を許すのか。私たちにはわからない。 しかし、神が人に公正を行い、憐れみを愛することを望んでいることは知っている。

目を開いて、現実の世界を見よう。 信仰は、決して世俗から逃げる隠遁主義であってはならない。