整理師はある四坪の部屋の各所から、傘を五十本掘り出した。
同じ世帯からはゴミ袋四袋、資源回収一袋、譲り渡し用の袋十八袋も出た。それらの傘は一本ずつ出所を追っていない。贈答品が混じっている可能性もあり、一度に複数本買った人がいた可能性もある。したがって五十本すべてを同じ購買行動に帰することはできない。だが整理記録には、かなり直接的な説明がある。持ち主は傘が必要なときに見つからず、もう一本買った、というものである。
重複購入は、消費習慣が悪いと言いやすい。現場から見ると、それは予測可能な結果でもありうる。家庭在庫の可視性がある水準まで下がると、使う側にとって、見つからないことはないことと同じになる。
家にあることと、必要なときに見つかることは同じではない
ある物が使う人にとって役に立つかどうかは、それが必要なその瞬間に見つかるかどうかにかかっている。かつて買ったことを覚えているだけでは、雨の日に傘を取り出せない。いまどこにあるかを知っていてこそ、本当に持っていると言える。
同じ四坪の部屋の整理記録は、物が地層のように層をなして積まれていたと述べる。持ち主は一つ一つを買ったことは覚えているが、どの層に埋もれたかは覚えていない。このとき在庫は存在するが、情報は消えている。
重複購入はこうして自己強化する。新しい傘を一本入れると、家の物が一件増え、可視性はさらに少し下がる。次に見つからない確率は上がりうる。それが次の購入を促す。物が多いほど安心とは限らない。使用を支えるのは数量ではなく、識別でき、取り出せ、元の位置に戻せることにある。
同じ結果でも、入口は異なりうる
仕事の忙しい職場の管理職の家では、台所の戸棚に重複品が積み上がり、高級バッグを整理すると、買ったこと自体をほぼ忘れていた限定品まで出てきた。この世帯の重複は在庫の不可視と関係し、ストレス買いとも重なっている。
三人の子どもがいる家庭では、親が一人に玩具を買うと約束すると、公平を理由に残りの二人の分も一緒に買うのが通例だった。組み立て玩具は二十〜三十箱あり、未開封の新品もあった。ここでの重複は見つからないことではなく、家庭の規則が一度の需要を三倍に拡大したことである。
別の四階建てのテラスハウスでは、家族が制服、水筒、文具をよく見失い、子どもは年長者の部屋を探していた。この事例は、その後に再購入したかどうかは記録していない。だが在庫の可視性が崩れるという前提条件は、はっきり示している。
長期介護を終えたばかりの世帯では、新品の台所用品と過剰な消耗品が残っていた。母親は物資が乏しい時代を経験しており、「いつか使う」とよく言った。単価が低く、体積が小さく、棚卸ししにくい物は、大切に残す気持ちと重複の蓄積を重ねやすい。
これらの家庭の条件は異なり、重複の入口も異なる。共通点はある人格ではなく、物が多すぎて家庭が信頼できる棚卸しをできないことである。
まだ門を入っていない物を抑える方が、あとから探すより効く
整理後の家庭は、「使い終わったら元の位置へ」「どの物にも自分の場所がある」と決めることが多い。この二条はすでに存在する存量を扱う。毎日、全員の協力が要る。
もう一条は「機能が同じ物を重ねて買わない」である。これはまだ門を入っていない流量を扱う。実行の場は店や買い物かごであり、居間ではない。一度止めれば、家に増える物は一件減り、可視性も少し残る。
前の二条は既存の物の管理であり、最後の一条は新規の物の制御である。減量と定位置は存量を扱い、購買の規律は流量を扱う。片方だけなら、もう片方が問題を戻してくる可能性がある。
これは購入の禁止ではない。買う前に問うことである。家にはすでに一件あるのではないか。いま見つからないだけではないか。答えが確かでなければ、先に棚卸しするか判断を延ばす方が、買ってから置き場所を探すより効くことが多い。
五十本の傘が本当に示すのは、誰かが傘を買いすぎたことではない。家庭の中で、すでに可視性を失うほど物が増えていないか、ということである。在庫が再び見えるようになって初めて、物は使われ、譲り渡される機会を得る。家の中に隠れ、次の重複購入を待つ状態から離れうる。
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