何年も封印されていた部屋を整理したあと、リストはごみ五十一袋、回収ゼロ袋、譲渡一袋であった。

回収ゼロ袋を、部屋にリサイクル可能な材料が一切なかったと直接読むことはできない。当日の整理範囲は限られ、家主は物品を勝手に動かすことを許さず、目の前で「捨てる」と言うこともできなかった。だが別のことははっきりしている。この家は極度に物を惜しみ、娘の教科書と練習帳は一冊も欠けず、物品は何年も残され、最後はほとんどがごみとして運び出されるしかなかった。

人は物品の期限を「壊れたその日」と考えがちである。実際には、目立った破損の前に、すでに次の使用者の手元へ戻りにくくなっていることがある。

遊休はまず資源を凍結し、それからゆっくり消耗する

物が使われていないとき、表面では何も起きていない。箱の中、棚の中、部屋の隅に置かれ、必要になったら取り出すのを待っているだけである。問題は、物品の再使用可能性が、誰も触れないからといって変化を完全に止めるわけではないことだ。

化粧品、食品、薬品、清掃用品には保存期限があり、時間は製造後または開封後から進む。電化製品と情報機器は、プラグ、充電ケーブル、消耗品、修理支援、規格の入れ替わりに左右される。紙は湿気を帯び、布はカビ、木材は虫害を受けうる。風通しが悪く何層にも積まれた場所では、環境による損耗はさらに速くなる。

物品をその場に残す過程は二段に分けられる。はじめは価値が凍結され、まだ使えるが流れがない状態である。つづいて保存条件と時間が再使用可能性を消耗しはじめる。二段のあいだに警報はない。だから人は「まだ壊れていない」を「あとで間に合う」と取り違えやすい。

数年早ければ人に渡せるものが、数年遅れると搬出しか残らない

整理の現場では似た結果が繰り返される。ある職場の管理職が未開封の通販箱を開けたところ、中の化粧品の多くは二、三年期限切れで、高級フレグランスは未使用のまま酸化していた。これらは使いすぎて価値を失ったのではなく、ずっと使われなかったからである。

家庭工場の台所には期限切れの調味料が溜まり、部屋の化粧品も期限まで置かれる。来客のときは雑物を飛び越えて冷蔵庫から飲み物を出すが、まだ飲めるかはわからない、と形容する人もいる。遊休は物品の本来の機能を保つのではなく、判断を遅らせる。

これらの事例は異なる家庭、異なる品目から来ており、同一物品を数年後に再点検した追跡記録ではない。支えられるのは特定の統計比率ではなく、時間上の注意である。物品の判断が遅れるほど、再使用できる選択肢は通常少なくなる。

物品の期限は一本の統一された線ではない

保存期限のある物品は、時間が最も短い。生鮮は日や週で数え、包装品、化粧品、清掃用品にはそれぞれの期限がある。期限後は使えないだけでなく、他人へ渡すにも適さないことがある。

規格や様式に期限がある物品には、電化製品、情報機器、衣類、玩具が含まれる。故障していなくても、部品、消耗品、適切な使用状況が見つからなければ、実際の寿命は短くなる。

建材、家具、揃いの書籍、食器は規格が比較的安定し、保存期間も長くなりうる。だが別の問題にぶつかる。体積が大きすぎるか、引き受けられる経路が見つからないことである。二十年置かれたタイルは、材料が安定し湿気もなかったため、最終的に家主が自らネットで送り出した。十数年置かれたランニングマシンは、目立った故障はなかったが、体積、運搬、短時間で引き受け手がいないために、分解して回収へ送られた。

したがって「まだ使える」は物品の状態に答えるだけで、流通できるかには答えない。再使用可能性は、保存、使用、修理、転手の条件を同時に見る必要がある。

判断の時機は、資源効率の一部である

物品が最後に使われたときこそ、行き先を改めて判断する好機であることが多い。一年使っていないものをすべて直ちに送り出せというのでもなく、長く置いたものが必ず失効するというのでもない。見るべきは、はっきりした使用状況、保存条件、引き受けの可能性がまだあるかどうかである。

同じ物品でも、数年早く決めれば、他人に渡せる用品である可能性が高い。さらに数年置けば、搬出費と処理責任しか残らないことがある。循環経済が扱うのは「すべての物を残せ」ではない。機能を失う前に再使用の機会を与えることであり、本当に再使用に適さないとき、材料または最終処分の系へ戻すことである。

物は壊れてから価値を失うのではない。ときには、置かれすぎて、次に必要とする人がもう見つけられず、物自身も元の部屋から出られなくなっているだけである。