十世帯の整理が終わったあと、リストを合計すると五百八十袋であった。ごみ二百十九袋、回収百六十六袋、譲渡百九十五袋。換算すると、ごみは約三十七点八パーセント、回収と譲渡の合計は約六十二点二パーセントである。

この数字を一般家庭にそのまま当てはめることはできない。十世帯はいずれも整理師が入った事例であり、出所、家族構成、整理範囲も完全には揃っていない。ただし、見過ごされがちな区別は開ける。囤積と呼ばれる物品のすべてが、ごみ収集車に乗るわけではない。

回収の百六十六袋は、多くが本来の用途を終え、材料側へ戻るしかない。譲渡の百九十五袋は、他人の生活のなかで使い続けられる余地がある。どちらも元の家を離れたが、物品の状態は異なる。

囤積は空間を占有するだけでなく、流通も断つ

家が囤積していると言われるとき、まず思い浮かぶのは通路の狭窄、物の所在不明、部屋の占有である。これらは居住者がすでに負っているコストである。資源の側から見ると、もう一枚の帳がある。まだ使える物品が原地に留め置かれると、使われず、新たな購入を一度も代替しない。

物品はすでに原料、製造エネルギー、輸送コストを消費している。家庭に入ったあと、内側へ押し、上へ積むだけなら、価値は一時的に凍結されたようなものである。止まったばかりの数年は、まだ健全でありうる。長く置けば、化学、規格、環境の損耗が、再使用可能性を徐々に奪う。

したがって「捨てるより残すほうが環境にいい」は、その物品が実際に使われるときにだけ成り立つ。入った日から一度も開かれないなら、残すことと捨てることの差は、ごみの発生が数年遅れることにすぎない場合がある。

譲渡量が最大の家が残したのは、まだ健全な物だった

譲渡量が最も多かった一世帯は、長期介護者の家である。母親の死後、居住者は五十八袋の譲渡品を出した。テレビ、テレビ台、未使用の厨房用品、過剰な消耗品、長く使っていなかった小型家電である。多くは保存状態がよく、包装も残っていた。長く蓄積したあと、家に十分な出口がなかっただけである。

別の一世帯には子どもが三人おり、五十四袋の譲渡品が出た。大型家具とバスケットゴールを含む。組み立て玩具は二、三十箱あり、未開封のものもあった。これらの問題は即時の破損ではなく、家庭の使用需要がすでに終わっていたことである。

四坪の一室から十八袋の譲渡品が出た。衣類六袋と傘五十本を含む。ごみは四袋、回収は一袋であった。長年休業した家内工場では、大量のシール、印刷用紙、揃いの百科事典を非営利組織へ寄付した。原地では雑物であり、次の使用文脈に入って初めて、再び資源になる。

すべての物品が順調に送り出せるという意味ではない。「まだ使える」と「すでに価値がない」のあいだに、処理すべき流通過程がある、ということである。

送り出せるには、相手、経路、時間が要る

物品が再び流通するには、少なくとも三条件が要る。受け手がいること、適した経路があること、まだ使える時間内に移転を終えることである。

長年封じられた一室では、ごみ五十一袋、回収ゼロ袋、譲渡一袋が出た。居住者は物を極端に惜しみ、子どもの教科書と練習帳は一冊も欠けていなかった。しかし長年の封存で、多くは可用性を失っていた。今回の整理範囲も限られ、居住者は物品の任意移動を許さず、現場には完全分類の条件が足りなかった。したがって回収ゼロ袋を、この家に回収可能な材料が一切ない、と読むことはできない。

別の事例では、若い居住者が二袋の大物を整理したが、同居する母親がほぼすべて点検したうえで自分の部屋へ持ち帰った。リスト上は譲渡と記されたが、実際にはこの建物を出ていない。部屋が変わっても流通は完了しない。元の堆積位置を本当に離れ、次の場所で使い続けられる必要がある。

したがって、十世帯合計の六割二を、「六割二が他人の資源になった」と自動翻訳することはできない。それは、この十世帯が、その整理、その時点で残した分類記録にすぎない。世帯間の譲渡割合の落差は大きく、合計数字は各世帯の実条件に代われない。

循環の起点は、物品に次の節点を見つけることである

家庭整理は最後の一歩をごみ収集車に渡しがちである。効率は高いが、家を出る前の物品差をすべて均してしまう。まだ使える家具、未開封の用品、引き渡せる衣類と、すでにカビや期限切れの物を、同じ判断に置いてはならない。

本当の流通には、まず棚卸しがあり、状態に応じた行き先がある。再使用に適するものは受け手を探す。機能は終わっても材料価値があるものは回収系へ戻す。引き渡せないものだけが最終処分へ入る。この順序は、すべての物品を残すためではない。原地を離れる前に、一件ごとに適切な判断を通すためである。

循環経済は「捨てるな」を新たな道徳圧に変えることではない。扱うべきは、物品にまだ価値があるとき、家庭に見える出口があるか、本当に使用価値を失ったあと、責任ある材料経路または処分経路があるかである。

物が家に残っていることは、大切にされている証拠ではない。間に合ううちに、それを必要とする次の場所へ届いたかどうかが、惜物が実際に起きたかの証拠である。