TL;DR:AIっぽさは二本の検査ラインに分解できる。一本は「機械が書いたように見えないか」、もう一本は「文が書き切れているか」を問う。五項目はスクリプトで自動検出できるが、残りは人間が判断するしかない。このメソッドはAIっぽさを消すことはできても、人間らしさを与えることはできない。その限界がこのメソッドの誠実さだ。

「正しい言葉と、ほぼ正しい言葉の差は、稲妻と蛍の差だ。」 ——マーク・トウェイン

自分の文章のセルフチェックルールを十数回改訂してから、ようやく気づいた。それらは実のところ、二つの問いしか立てていなかったのだ。一つ目は:この文は機械が書いたように見えないか。二つ目は:この文は書き切れているか。

前回の記事では、AIっぽさを消すプロセスをどう磨いてきたかを書いた。今回はそのプロセス自体を解説する。どんな形をしていて、何を機械に任せられて、何を自分でやらなければならないか。AI支援ライティングを使っているなら、そのまま自分用にカスタマイズして使ってほしい。

最初に、私が文章をどう見ているかを話しておく。エンジニアリングや数学の観点から言えば、言葉はレゴに似ている。有限の語と有限の文法が、無限の文を組み上げる。つまりライティングには分解できる側面、磨ける側面がある。ブロックの組み方を習得すれば、表現は一段ずつ精緻になっていく。この記事で整理するのは、そのブロックの組み方だ。

第一の線:この文は機械が書いたように見えないか

この線が検出するのは、声だ。AIが文章を書くときには習癖がある。最もよく見られるパターンをいくつか挙げる。

二項対比:「XではなくY」「XだけでなくYも」。AIが最も好む文型だ。ワシントン・ポストが328,744件のChatGPTのメッセージを分析したところ、この否定並列は2025年7月だけで会話の6%に登場している

仮主語:「データが真実を語った」「市場が答えを出した」。生命のないものは自分では動かない。具体的な人間や行為に置き換える。

万能穴埋め:「Xを掌握した者がYのコア・コンピタンスを掌握する」。主語を入れ替えても成立するなら、それは空言だ。

見せかけの脆弱性の書き出し:「正直に言うと、私もかつて迷っていた」。細部のない告白は、演じられたものだ。

儀式的な締め:「今後の展開に注目したい」「準備はできているか?」。スローガンは余韻ではない。

ダッシュ:現在のSNS文脈では、ダッシュの多用はAIの指紋にほぼ等しい。

2025年から2026年にかけては新しいパターンも出てきた。レッドフラグワード(英語では delve、tapestry、日本語では「エンパワーメント」「構築する」「注目すべきは」)、構造強迫(各段落に「以下に詳細な分析を示す」とsignpostし、硬直した「今後の展望」で締める)、そして見せかけの誠実さ(カウンセラー口調で「あなたの観察は鋭い」と言い、二文で済む話を数百字かけて語る)。

レッドフラグワードは流行り廃りがある。delve は一時期話題になり、みんなが意識的に避けるようになった。だから語のリストを暗記しようとしてはいけない。構造を見るべきだ。根本にあるのは二つのことだ。AIは最も予測しやすい言葉を選ぶため、読んでいて意外性がなく流れすぎる。文の長さも均一なため、リズムが単調になる。その二つの根を掴む方が、百の語を覚えるより効く。

第二の線:この文は書き切れているか

第一の線が「AIらしくないか」を問うのに対し、第二の線はまったく別のことを問う。文そのものが書き切れているか、十分に正確かどうかだ。この線は、自分の改稿作業から生み出したもので、市場に出回っているAIっぽさ除去のチェックリストにはこの視点がない。

十種類に整理した。いずれも改稿時に最も手が動く箇所だ。主語の補完、動詞の完結、句読点の整理(読点は単語の連結に、節の区切りは句読点に)、絶対的な言い回しへの留保(「検証不可能だ」を「可靠に検証することは難しい」に)、論理接続詞の明示化、口語的な語の正確な書き言葉への置換、規則文の規範的語気への変換、引用符の統一、働いていない形容詞の削除、名詞化した表現の動詞への還元(「決断を下す」を「決断する」に)。

十項目の背後にある基準は一言に尽きる。すべての語は働いていなければならず、すべての文は書き切られていなければならない。

興味深いことに、自分の文章への修正はほぼこの第二の線に集中していて、第一の線には少ない。AIっぽいパターンはいったん意識すれば繰り返しにくくなるが、「文が書き切れているか」は常に気を配り続けなければならない。

何を機械に任せ、何を人間が持つか

二本の線のうち、五項目はスクリプトで精確に検出できる。対句、ダッシュ、読点の連打、短文の連打、フィラーワードだ。私はこれらをスクリプトにして、記事を送稿する前に自動実行している。機械は数えることが得意で、この種の繰り返し作業を目視に頼るべきではない。

しかし残りは自動化できない。見せかけの誠実さ、過度なバランス感、文が書き切れているかどうか——これらは意味の判断を要する。スクリプトは初期検出と示唆しかできず、最終判断は人間が下す。だからこのメソッドは「ワンクリックでAIっぽさを消す」ものではなく、「機械が数え、人間が判断する」という分業だ。

さじ加減はチェックリストより重要だ

チェックリストは方向を示す。ただし、チェックリストをうまく使う人と使い損ねる人の差は、さじ加減にある。

最も間違えやすいのが対句だ。AIっぽさの筆頭に挙がりながら、あなたの文体の核になり得る。ルールはシンプルだ。一記事に一つ残す。中心的な論点を担うものだけ残し、他は言い換える。全部削るのではない。対句が一つなら刃になるが、七つあれば口癖になる。

機械的に削ってはいけない語もある。日本語の「〜た」「〜だ」のような文末表現は文法的な重みを持っている。チェックリストに従って削れば文が壊れる。削ることには下限がある。精練とは働いていない語を取り除くことであって、骨まで削ることではない。比喩の一つ、寄り道の一文も、それが臨場感や人間らしさを支えているなら、残す。

ツールが担えるのは半分だけだ

ここで正直に言わなければならない。このメソッド全体が担えるのは、半分だけだ。

レゴに戻ろう。ブロックはかなり精緻に組み上げられるが、天井がある。それは規格品だ。規格品で作ったものがどれほど精巧でも、レゴの姿をしている。みんなが同じブロックを使えば、組み続けるうちに似たものが出てくる。文章も同じだ。同じツールを使い、同じモデルを背後に持てば、どれほど綺麗に組んでも、他の人のものと似てくる。

もっと根本的なことがある。工学的な精緻さは、あなたらしさとは別物だ。ブロックは誰でも使える。同じ語と文法を誰もが使える。しかしどのブロックを選び、どう組み、なぜそう組むか——そこがあなたの部分だ。文体はブロックの中にあるのではなく、選択の中にある。

だからこのメソッドは人間らしさを与えられない。削ぎ落とした後の文章は清潔かもしれないが、温度がなく、あなたもいない。文に温度を持たせるのは証言だ。論点を温めるのは、実際に起きた経験であって、さらなる理論ではない。その部分はチェックリストには届かない。自分で書くしかない。

なぜツールがそこに届かないのかは、次回の記事で話す。

このメソッドはそのまま使える

上の二本の線、十種類の文の締め、そしてlintスクリプトを一つの汎用スキルにまとめた。個人的な設定は除いてある。近いうちに公開するので、誰でも自分用にカスタマイズして使ってほしい。

ただし手を動かす前に、最後のことを覚えておいてほしい。このメソッドが引き受けるのは、あなたらしくないものを取り除くことだ。あなたらしい部分は、自分で育てるしかない。