TL;DR — サルコペニアが疾患として登録されたのは2016年だ。その重要なメカニズムの一つが、体内で数十年くすぶり続ける慢性炎症だ。日本のスタートアップ HumanLifeCord は新生児の臍帯から最も若い間葉系間質幹細胞を培養して薬にし、1本の臍帯から数百〜数千人分を製造できる。目標は4年以内に「再生医療等製品」として上市し、その炎をもとから鎮めて健康寿命を延ばすことだ。

年を取ると、体は少しずつ不具合を起こす。多くの人は痛みや脱力感、歩きにくさを「老化のせい」と片付け、そのまま受け入れる。だが、その衰退の正体が体内でずっと燃え続けている火だとしたら、何十年も消えないまま燻り続けているものだとしたら、どうだろう。

これが、日本のスタートアップ HumanLifeCordHLC、東京都中央区)の原田雅充社長が、日本科学技術振興機構(JST)Science Portal のインタビューで「老化」を捉え直した視点だ。彼が挑もうとしている病はサルコペニア。使う材料は、赤ちゃんが生まれた後に通常は医療廃棄物として捨てられる、あの臍帯だ。以下はそのインタビューの編訳で、この技術の核心と、4年以内の製品化を見据えた事業ロードマップを読み解いていく。

サルコペニアは老化なのか、それとも疾患なのか

疾患だ。しかも、治療を要する病として正式に認定されたのは2016年のことに過ぎない。

年齢とともに体全体が衰える状態を医学では「フレイル(frailty)」と呼ぶ。サルコペニアはその中でも、筋肉量と筋力の低下によって歩行や立ち上がりが困難になる疾患を指す。2016年、米国が国際疾病分類(ICD-10-CM、コード M62.84)に正式収載したことで、診断が可能な、対処すべき疾患として明確に定義された。高齢化が進む日本では、生活の質(QOL)を損なわないための対策が急務であり、臨床的には握力と筋肉量によって診断される。

その根源はどこにあるのか。原田の答えは炎症だ。体は傷ついたり病気になったりすると炎症を起こし、もともと自然に修復する能力を持っている。しかしその修復力は年齢とともに衰え、「炎症老化(inflammaging)」と呼ばれる慢性的な微小炎症が長期にわたって居座るようになる。たとえるなら、体内でくすぶり続ける火だ。それが長く続くと、筋肉は分解されて衰え、炎症は血管を傷つけ、臓器機能の低下は糖尿病や認知症の発症リスクを高める。裏を返せば、この慢性炎症を抑えることができれば、健康寿命を延ばせる可能性がある。

なぜ臍帯なのか

臍帯の中にある細胞が、人体で最も若い部類に入るからだ。

HLC がしようとしているのは、臍帯から取り出した細胞で炎症を鎮め、組織の再生を促すことで、老化関連疾患に対する全く新しい治療法を確立することだ。この細胞は「間葉系間質幹細胞(MSC)」と呼ばれ、炎症によって損傷した組織を修復・再生する能力を持ち、同時に炎症を鎮めて免疫を調節する力も備えている。母親と赤ちゃんをつなぐ臍帯の中に含まれる MSC は、きわめて若い細胞だ。

対照的に、骨髄などから採取した細胞はドナーの年齢が上がるにつれて増殖能力や修復能力が落ちていく。臍帯由来の MSC は増殖が速く、ドナーの年齢差に左右されないため、品質が安定している。原田の発想はシンプルだ。この修復活性を持つ細胞を培養して薬として使える製品に仕上げれば、弱った体を回復させる手段になりうる。

この考えを実際の技術資産に変えたのが、メカニズムの解明だった。体内では細胞同士が「炎症を抑えろ」「修復を始めろ」という指令を互いに伝え合っている。その指揮を担うのが、MSC が分泌するタンパク質——サイトカイン(cytokine)と呼ばれるものだ。2026年1月、HLC は特定のサイトカインが筋肉萎縮を抑制するメカニズムを突き止め、その治療用途に関する特許を日本で取得した。米国でも有効性と使用目的を守る「用途特許」の申請を進めている。臍帯由来の細胞が筋肉の分解を促す因子を抑え、筋肉の生成に関わる細胞を活性化することを証明した。「細胞でサルコペニアを治療する」という前例のない領域に、他社が容易に模倣できない武器を手にしたことになる。

📊 主要データ

  • 1本の臍帯からの製造量:数百〜数千人分の製剤(完全無血清・標準化プロセス)
  • 臍帯の長さ:約50センチ、これまでの多くは医療廃棄物として廃棄
  • 冷凍保存:液体窒素、マイナス196度
  • 疾患登録:2016年(ICD-10-CM M62.84)
  • 主要特許:2026年1月、特定サイトカインによる筋肉萎縮抑制メカニズム

1本の臍帯が、なぜ数千人分の薬になるのか

答えは、東京大学との共同研究で構築された標準化された均一量産プロセスにある。

HLC は東京大学医科学研究所と連携し、人由来・動物由来の血清を一切加えない「完全無血清培養」と標準化されたプロセスによって、1本の臍帯から均一に数百〜数千人分の製剤を製造する体制を段階的に整えてきた。現場での役割を終えた長さ約50センチの臍帯は、通常は医療廃棄物として処理される。同研究所の「臍帯血・臍帯バンク」では母親の同意を得た上で丁寧に回収・洗浄し、臍帯組織を細かく切り分けていく。

研究所附属病院の細胞処理・輸血部に在籍する長村登紀子准教授のチームが、その組織片からより効率よく細胞を取り出す方法を開発した。細胞は完全無血清培地の中で、体内と同じ37度、適切な湿度と二酸化炭素濃度のもとでゆっくりと育てられる。増殖後は、「確かに MSC であること」「ウイルスや細菌が混入していないこと」「免疫調節能力を持つこと」の多段階検査を経て、初めて液体窒素(マイナス196度)で冷凍保存される。冷凍の瞬間に細胞を傷つけない保存液は、長村准教授が特許を持つ技術だ。

こうして保存された種細胞は「マスターセル(master cell)」と呼ばれ、必要に応じて解凍・反覆培養を経て、最終的に患者に投与する臍帯由来 MSC 製品「HLC-001」になる。製造ラインのすべての工程は、東京大学医科学研究所附属病院内の「細胞処理センター」で完結している。

なぜ日本ではこれまで臍帯を使えなかったのか

制度という壁があったからだ。

MSC の有用性は国内外で以前から知られていた。日本を阻んでいたのは制度の問題だった。長らく臍帯は地方自治体の「胞衣条例」によって廃棄物として扱われ、研究目的であっても医療機関が自由に利用することはできなかった。HLC は行政機関や医療機関への粘り強い働きかけを続け、2019年に東京都での規制緩和をついに実現させた。日本で初めて、臍帯を正式な医療資源として活用できる枠組みが整ったのだ。東京大学医科学研究所との連携と全国の産婦人科医院との協力体制を構築し、臍帯の安定的な確保にも取り組んでいる。

このステップは行政上の細かい話として流されやすいが、実はこのストーリー全体の要だ。どれだけ技術が成熟していても、その原料が制度上「廃棄物」である限り、正式な医療には入れない。臍帯をゴミから資源に再定義することは、本質的にはルールを先に変える作業であり、科学はその後に初めて地に足をつけることができた。

臨床はどこまで進んでいるのか——白血病からサルコペニアへ

最初の一手は、命に関わる難治性希少疾患に絞った。

HLC は現在、白血病患者に発生する重篤な合併症「非感染性肺合併症」を対象に臨床試験を進めており、国の承認取得前の最終段階にあたる第三相臨床試験の申請手続きを行っている。戦略は明確だ。まずこうした生命を脅かす難治性希少疾患で再生医療等製品の承認を取得し、それを足がかりとしてサルコペニアなど老化関連疾患への応用を検証しながら、社会への普及を図る。並行して東京科学大学との連携のもと、既存薬が効かない難治性自己免疫疾患に対する MSC 基盤の新療法も開発しており、基礎研究では有効性を示唆する結果が出ている。

海外展開も同時並行だ。ブラジルでは、サルコペニアの状態を評価する臨床研究を推進し、その成果は2026年3月末の国際学会で発表された。サルコペニアの症状を持つ高齢者を対象に血液中の代謝物を分析し、サルコペニアの状態を識別できるバイオマーカー候補を特定したもので、将来的には診断に活用できるほか、細胞治療の効果を確認する指標にもなりうる。ブラジルを選んだのは、高齢化が進む新興国であると同時に多民族国家でもあり、そこで得たデータが異なる背景を持つ高齢者のサルコペニアの特徴把握につながるからだ。米国では、最大の独立非営利血液バンクである New York Blood Center と連携し、日本で確立した製造・品質管理プロセスの技術移転を進め、細胞製造の国際標準化に取り組んでいる。再生医療が国境を越えるとき、最大の障壁は各国の薬事規制と倫理基準の違いだ。FDA や EMA が求める品質・安全性の評価や承認プロセスはそれぞれ異なり、一つひとつ対応していくしかない。

4年以内に、点滴を打つように使えるようになるのか

それが原田の描く終着点の絵だ。

「再生医療等製品」として承認を得た後、HLC の目標は公的医療保険への適用を実現し、量産技術を繰り返し改良することで、高齢者が病院で点滴を受けるように、身近で負担が少なく安心して受けられる医療の選択肢として細胞治療を定着させることだ。その絵を支えるのは、役割分担が明確なサプライチェーンだ。ロート製薬との商用製造領域での連携で安定した生産体制を構築し、アルフレッサとの医薬品流通領域での提携で全国の医療機関への物流を整備する。持田製薬とは臨床開発と製品化の知見を組み合わせて事業化を共同で推進する。研究開発から製造、物流まで、一本の線でつながっている。

事業面のリズムも合ってきた。2025年12月に約20億円の資金調達を完了し、商用化に向けた投資を加速させている。まだ研究開発段階にあるため損益は経常赤字だが、持田製薬との共同事業化契約によって開発費用の負担を軽減し、将来の収益化への道筋も確保している。それより前の2023年9月には、厚生労働省から「再生医療等製品製造販売業許可」を取得し、「研究」から「自ら製品を製造する」商用化・産業化の段階に正式に踏み出した。原田の段取りははっきりしている。まず薬事承認を取得し、4年以内に第一製品 HLC-001 を発売する。そこからサルコペニアへと市場を水平展開する。サルコペニアの患者数は世界中で増加しており、重要な健康課題だ。細胞治療は、彼がそこに差し出したい新しい選択肢だ。

「老いる」を、介入できることに変える

原田雅充は1972年、名古屋生まれ。岐阜大学農学部出身で、遺伝子工学の研究に取り組んだ後、日本化薬、米国の Amgen と Celgene で臨床開発と営業・マーケティングを経験した。2014年にニューヨークで MBA を取得し、2017年に東京大学医科学研究所との連携のもと HumanLifeCord を創業した。

この道筋を少し引いて見ると、本当に書き換えられようとしているのは特定の薬の話ではなく、「老い」に対する態度だ。かつて体の痛みや脱力感は年のせいとして片付けられ、宿命として受け入れられてきた。老化の一部が「慢性炎症」という見えて、つかめるメカニズムとして解像されたとき、それはただ耐えるしかない運命から、介入できる対象へと変わる。体内でくすぶる火はまだ燃えている。ただ、少なくとも今、それをどう消すかを真剣に考えている人たちがいる。

よくある質問

Q:臍帯由来の幹細胞と、骨髄や脂肪由来の幹細胞は何が違うのか?

鍵は「年齢」だ。母親と新生児をつなぐ臍帯の中にある間葉系間質幹細胞は、人体で最も若い細胞のひとつで、増殖が速く品質も安定している。ドナーの年齢に左右されない点も大きい。骨髄や脂肪から採取した細胞は、ドナーの年齢とともに増殖・修復能力が落ちる。加えて、1本の臍帯から数百〜数千人分の製剤が製造できるため、供給規模がまったく異なる。

Q:この治療はいつ受けられるようになるのか?自費診療になるのか?

インタビューの中で原田社長が語ったところによれば、HumanLifeCord の目標は4年以内に第一製品 HLC-001 を「再生医療等製品」として上市し、公的医療保険への適用も目指すというものだ。長期的には、高齢者が病院で点滴を受けるような日常的な医療として普及させることを描いている。正式承認を得るまではあくまで開発中の目標であり、現時点で入手できる治療法ではない。

Q:他者の臍帯細胞を使った場合、拒絶反応は起きないのか?

間葉系間質幹細胞はもともと免疫を調節する能力を持っており、それが炎症を鎮めるのに使われている理由のひとつだ。増殖後の細胞は、MSC であることの確認・ウイルスや細菌による汚染がないこと・免疫調節能力を持つことを多段階で検査してから冷凍保存される。細胞治療の完全な安全性については、臨床試験と各国の薬事審査の結果をもって判断される。

Q:サルコペニアは細胞治療でしか対処できないのか?運動や食事は効かないのか?

この記事が扱うのは細胞治療という新たなアプローチであり、既存の方法を置き換えるものではない。定期的なレジスタンストレーニングと十分なタンパク質摂取は、サルコペニア予防の基本として引き続き有効だ。細胞治療が狙うのは、既存の方法では直接対処しにくい「慢性炎症」という根源であり、両者は異なる次元の介入だ。


この記事について:本記事は、日本科学技術振興機構(JST)Science Portal の連載「人生100年社会・それを支える科学(4)」の編訳だ。原題は〈臍帯由来の細胞でサルコペニアに挑む〉、2026年7月6日掲載、取材・執筆は科学ライターの近藤英次(Eiji Kondo)、取材対象は HumanLifeCord 社長の原田雅充。記事中の技術・事業に関する内容はすべて、原田社長がそのインタビューで語ったものだ。日本語への編訳と段落の再構成は本サイトが行っている。サルコペニアの疾患コード(ICD-10-CM M62.84)は別途確認した。健康と身体に関する考察をもっと読む:沈思と記憶 → 健康と身体

原文リンク:https://scienceportal.jst.go.jp/stories/20260706_s01/